ゆるっと外と中の話

世界を広げるために、気が向いたときにつらつらと書くものです。人格は迷走中

起業がしたい!資格を取ろう

起業、資格、、別にこの2つは関連したものではないです。

1年ちょっと前、自分で経営したい、起業したいという思いが芽生えたのです。

なので、もうどこかで働きたいという思いは皆無に等しく、今の仕事もあまり面白くはないのです。コンサルタントの仕事内容的にも楽しいと思えないですし、環境的にもあまり心地よいと思える人がいないのです。

思うより動け、とは思うのですが、1年間ちょっとは思うだけ、考えるだけに留まっていました。今後1年間はもう少し動きたいと思っています。

 

さて、資格ですが、社会人になってからずーーーーーーーーーーっと先延ばしにしてしまっていた簿記!中途半端に勉強しているせいで、まだ取れておらず、絶対今月中にとる!と気持ちを新たに勉強をしています。

あとは法律関係の資格を取ろうかしら・・と最近考えています。もちろん軽い気持ちで挑むべきではないのですが、数年前と比べて自分の心や気持ちが軽くなった分、挑戦する意欲も姿勢も前とは段違いです。頑張ろう!

リスペクト

日本で暮らしていて、働いていて、なんとなく「リスペクト」が足りないと感じることがある。自分の中でなんとなく感じていただけなのだが、「頭に来てもアホとは戦うな」という本の中で、筆者も同じことに言及していて、やっぱりそうだよなと思った。

日本での他者への「リスペクト」の無い言動からくるいざこざの多いこと多いこと。。。

 

自分で言えば、特に私は、女であり、背が小さめで、柔和な顔をしており、初対面や知らない人、敵意を持った人からは非常に舐められやすい方だと思う。

街中を歩いていても、狭い道や扉で譲るのはいつも私の方。仕事でもちょっとしたことだが、失礼なことやきついことを言われる。別に被害妄想ではない。周囲を見ていて私はそういうことが多いと思っている。(「絶対それ私でないければ言わなかったでしょ」と思う)

体が大きい人や男性は小心者の日本人から恐れられていいなぁなんて思う。

 

自分がリスペクトのない言動を受ける側としての機会は最低限にしたい。

できる限り舐められないよう、知識をつけたり、積極的に発言してみたり、オーラを出してみたり、いろいろ試しているが、リスペクトのない他人のちょっとした言動で悲しくなることは0にはならない。

 

言わずもがな、自分がそういった他人にリスペクトのない言動をしないように、ということは気をつけている。

そもそも、なぜ他人にリスペクトのない言葉や行動を発せられるのだろうか。自分と自分の周囲だけが大事?よく知らない人間や舐めても良さそうな人間には何をしても良い?そういう発想がいじめの根源にもあるし、日本でいじめがなくならない一因でもあると思う。日本は親切な国だ、優しい国だ、おもてなしの国だなんていうけど、そんなことない。おもてなしができるのはビジネスの時だけだ。優しいのもごく一部の人だけだ。そんな一部の人だけを切り取って、日本はいい国だなんて笑ってしまう。

 

そんな外からの悪意で傷ついて落ち込んで深く悲しくこともあるけど、まるっと受け流して、自分は自分。悪意に影響されず自分は周囲にリスペクトを持った草の根運動をしていこう、と思う。

 

 

 

転職しました

転職しました。

ずっと今後のことを考えていて、個人の力をもっと身につけたい、現職ではそれ以外のことに時間が取られすぎる・・・ということで今年1月に退職の意思を固めました。

その時点では転職先は決まってなかったんですが、ご縁があり、今月から新しい職場で働いています。

まだ新しい会社ということもあり、固定のことだけでなく新しいことにも挑戦する未来に可能性のある会社だと思い、希望を持って働いてます。

 

転職のおかげか、新しい職場のおかげかわかりませんが、とても気持ちが楽で、より自分のことに時間を割いて俯瞰的に物事を見ることができるようになった気がします。

もやもやしていた1年ぐらい前の自分に伝えたい。良い結果か悪い結果になるかわからないけど、まずは行動すること!

そういう意味では自分頑張った!ありがとう

 

自分の中では子供の時から抱いている憧れをきちんと消化できていないところがあり、これからはその消化、自己実現に向かって頑張りたいと思います。

世間一般の成功した同世代からすると遅いのかもだけど

退職

今週、上司に退職の意向を伝えた。

その後、部長にも話をした。

やりたい事がある、3月で辞めます。

翌日、部長が顔面麻痺となってその後2日間休みをとっていた。

役員とも面談して、週末よく考えて、それで退職届出すか決めて、と言われた。

罪悪感、こんなに自分がいなくなって困ると思われているのに、

そしてお金的にも不安があるのに

退職を決めてしまっていいのだろうか。

 

ただ、もう今の仕事を続ける気持ちはない。

お金に不安があるから・・・と続けるのは違う気がする。

土日に改めて考えてみたけど、周囲の人には話しづらいけど、、

やはり週明けに提出しようと思う。

 

 

都会の夜の電車

都会の夜の電車が嫌いだ

 

お酒を飲んだ人の呼気と体臭と汗、タバコ臭の混じり合ったにおいが充満して

いくら車両を変えても同じ

 

もちろんその空間が好きな人もいるだろう

なんで私がそのにおいを好きになれないかって、きれいな自分でいたいから、だと思う

自分はそんな大勢のいるところでもみくちゃにされてにおいつけてませんよ、っていう

でも一方で、楽しみの後で疲れて電車に乗っている人々を見て、その人たちのいた空間が好きじゃない自分が悲しくもなってくる

どうして寂しさを感じるのに、華やかな場所に行かないのだろう

 

もしも将来甘美な思いをして疲れて電車に乗る自分になれたら、それはもう自分じゃないのかも

持つこととあること

エーリッヒフロムの「生きるということ」を読んでいる

まだ読んでいる途中だが、まさに今自分が悩んでいることについて書かれており、関心を持って読めている

人間が超人となり、封建的な鎖から解き放たれてからの人間のあり方について、つらつらと書かれている部分については、自分が悩んでいることはとっくに昔に経済学者や哲学者が考えていることだったのだと確認できた

持つこととあること、あり方があって「持つ」のか、持って「ある」のか

持ちすぎる富も貧乏すぎることも悪という宗教的な考えに基づいたら中間層でいることが正しいように思うが、現実にはそうではない

富裕層はより豊かになり、貧しい人はより貧しくなっている

本書でも持つこと自体は「私たちの正常な機能」と記述があるが、今の社会においては、「持つ」ことを前提にあり方を追求した方がいいのかもしれない

 

悲しみの忘れ方

ブログっていいですね

日記とはまた違って、客観的に自分のことを見れる気がする

この数ヶ月自分が鬱々としてんな〜というのがわかりますね笑

まだ鬱々としてます

頭痛がずっと止まらないです(ー△ー)

しんどいofしんどいが続いてます

 

けれど、仕事のストレスは落ち着きつつあり

目標がいくつかできたので

それに向かって粛々と生活するしかないかな、という感じ。

学生の頃とは違って、今はお金あるし生活力あるし

もう少し気持ちを前向きに持っていきます。

 

今日、家族と会って、夜は友達とオンライン飲み会(お酒は飲んでない)をして

自分は普通、普通の感覚、というものを少し思い出せました。

一皮剥けるよう頑張ります。